3年目の文化祭。舞台の袖で、椅子に座って私は自分の出番を待っていた。俯く視線の先には、座っているせいで床に広がる白い波。
 この日のために、夏休みからちくちくちくちく白い布に白い糸で縫ってきたウエディングドレスだ。純白の衣装と純白のフォーマルグローブ。琉夏くんのバイト先で注文した、ティアードロップのブーケ。
 大丈夫、なにも問題なんてない。
 ふるえる胸を鎮めようと、目をきゅっと閉じた。
 ゼッタイ成功させなきゃ!
 グっとこぶしを胸の前に作ったとき、耳慣れた声が私を呼んだ。
「美奈子」
「あ、琉夏くん!」
「……花嫁さんだ」
「うん、3年生恒例なんだよ?」
 緊張でひきつる頬を、なんとか上に持ち上げる。
 ちゃんと、笑えてるかな、わたし…。
 恐る恐る琉夏くんを見上げた。
「……どうかな?」
 私の気持ちを察しているのかいないのか、琉夏くんは少し屈んで私に視線を合わせた。そっと囁くようにつぶやく。
「ヤバい」
「えぇと、それは……どっちの意味?」
「俺の花嫁さんだったらいいのになって意味」
「えっ……!?」
 金色の髪から覗く綺麗な瞳が、緩やかに弧を描く。息を詰まらせた私を見てふわりと笑う琉夏くんのほうが、私なんかよりよっぽど綺麗だ。
 きゅーっと血液が逆流して、顔から火が出そうになった。琉夏くんの手が、私の頭を撫でる。キラキラ輝くティアラを落とさないように、そっと、優しく。その手がゆっくりと止まると、不意に後頭部を引き寄せられた。琉夏くんの唇が、耳元で微かに動く。
「……始まるよ?」
「うん……」
「立てるよね?」
「だいじょうぶ」
 微かに頷いて、私は震える足になんとか力を込めた。
 ちゃんと立ち上がるのを見届けてから、琉夏くんが一歩、私から離れた。
「琉夏くん?」
「行って? 客席から見てるから」
「………ありがとう」
 今度はちゃんと笑えたかな。琉夏くんが頷いて、私に背を向けた。
 それを見送ってから、私は胸に手を当てて、大きく深呼吸をした。
 瞑っていた目を開けると、スポットライトで照らされたステージと客席が、まだかまだかと私を待ってくれているような気がした。
 琉夏くんの作ってくれた、ティアードロップのブーケを柔らかく、でも強く、握りしめる。
 よーし……高校最後のショー。しっかりしなきゃ!
 顎を引いて、顔をあげて、堂々と胸を張って、きっと琉夏くんが居てくれている光の中に飛び込んだ。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。
 何度も、何度もココロのなかで唱えたけれど…。大丈夫じゃ、なかった。
 慣れないヒールが広がるドレスの裾を踏む。足をとられる。途中まではうまくいったのに、最後の最後で転んでしまった。
 なんとか、なんとか立ち上がって、お辞儀をする。俯く視線の先は白い波。私の頭のなかも真っ白だ。動転する気持ちを抑えて、走りたいのを堪えて、舞台のそでに引っ込む。
 光の中に居たせいか、舞台袖は真っ暗に感じられた。口が小さく開きっぱなしなことにも気づかない。
 転んじゃった……最後のステージだったのに……。
 ただひたすら、そんな思いが心の中を駆け巡る。
 とす、と体から力が抜けた。運よく椅子があって、腰を打つことはせずにすんだ。
 カタカタと震える手を見ると、転んだときに強く握りしめたせいで、ティアードロップの形が崩れてしまっていることに気づいた。
 手芸部の仲間たちも舞台を仕切る生徒会も気遣ってくれているのか、誰も何も言わない。頭の中は相変わらず真っ白で、打った膝は遠いところで痛かった。

 一瞬、あの一瞬。
 何かわからない、強い気持ちがこみ上げたとき、ドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえた。
「怪我は?」
 耳慣れた声に顔を上げる。
「あ、琉夏くん……」
「足、捻ったりしてない?」
「……うん、大丈夫」
 琉夏くんの額が、キラっと光った。汗、だ。
 そんなに急いで来てくれたの? そう思うと胸が、じんわりと温かくなった。
 ねぇ、今度こそ、ちゃんと笑えてるかな。
 琉夏くんは、なんだか複雑そうな顔をして、私の前に膝をついた。
「うん……大丈夫。本番ではさ、ちゃんと支えてくれる人がいる」
 私を見上げる顔も、響いてくる声も、優しい。
 でも、ねえ、琉夏くん。
 高校最後の文化祭。私にとって、まぎれもなく本番だったの。
 けれど琉夏くんの気遣いを否定したくなくて、私はうっすらとほほ笑んだ。なんとか頷いてみせる。なのに、何を思ったのか琉夏くんが私の手をとって立ち上がった。
「おいで? あっち人いないから」
「えっ?」
「ギュってしてあげる」
 意味が飲み込めなくて、ぽかんと私は琉夏くんを見上げた。
「そんで、」
 ひやりと、頬に冷たい感触がした。琉夏くんの手だ。そっと、親指が私の瞼の下を撫でた。
「涙が止まったら、甘いもの食べに行こう」
 もう一度、琉夏くんの親指がこぼれる涙を掬い取った。
「な?」
 あっち行こうといわれたのに、私はその場で琉夏くんに抱き着いてわんわん泣いた。琉夏くんはただ優しく、背中を叩いてくれた。
「泣かないで、俺の花嫁」
 きっとしょっぱかったんだろう。涙にぬれた頬に唇を落としたあと、そう呟いて琉夏くんは微かに眉毛を下げた。
 涙はいつのまにか、琉夏くんに吸い取られてしまっていた。
涙の花嫁














琉夏イベントで一番萌え滾りました…っ