七月十五日。
その日、私と土方さんは五稜郭の裏にある桜の木の下に来ていた。日差し眩しい、風の強い日だった。
小さなの窯の中で、さっき川から汲んできた水がちゃぷんと揺れる。そこに映る私の表情は、窯の底が暗いせいかはっきりとは見えない。ただ、明るい表情ではないことくらいはわかった。首を小さく振って、ぼんやりと佇んでいる土方さんの背中に声をかける。
「土方さん。お水、汲んできました」
「ああ、悪いな。重かっただろ」
「これくらい平気ですよ」
「………ありがとな」
照りつける陽射しとは裏腹に土方さんは涼しげに笑った。穏やかでやわらかいその笑みに、私の頬もつられて緩む。
ちゃぷん、と窯の中で水が揺れた。風が吹き抜ける。
木と草しかないただの平原のここには、陽射しから身を守るものは何もない。それでも暑さを感じないのはこの強い風のおかげだろう。ただ風が吹きぬけていく。
「……土方さん」
「どうした?」
「あの……ほんとにここで良かったんですか?」
「どういう意味だ?」
「きちんと墓前にお参りに行ったほうが……」
風しか吹いていない、なんでもない平原。なんにもないただの平原。
かつて、土方さんが風間さんの心の臓を貫いた場所。
「ここで良いんだ」
土方さんは近場にあった大きな石に持っていた花を置いた。 来る途中、たまたま咲いているのを見つけたミソハギを摘んできたのだった。ミソハギの紫が石の灰色を覆い隠す。その上から水をかけると石に花がはりついた。
「近藤さんたちの墓前にゃ、生きていたら新八たちが参ってるはずだろ。……俺はここでいい。ここが良いんだ」
土方さんにならって私も目を瞑った。あの時のことが、まるで昨日のことように脳裏によみがえる。きっと土方さんも同じだ。彼の吐き出す息が少し震えているのも、そのせいだ。
最後の最後まで、土方さんが新撰組として在った場所。
「奴等の墓の前は、墓の前でしかねぇんだよ」
その声は震えてはいなかった。
罰当たりなことかもしれない。けれど、土方さんの言いたいことは痛いくらいにわかった。
濡れた石を背筋を伸ばして見つめる彼に手をのばす。少しでも同じ気持ちで居たかった。困ったふうに眉を小さくあげた土方さんは、私を優しく包み込んでくれた。
とめどなく吹き続ける風に二人で悪戦苦闘しながらも、なんとかお線香に火をつけることができた。まだ濡れている石の上にそっと置く。苦労したかいあってか、まだ湿っている石の上に置いてもお線香の火は消えなかった。
「千鶴、米もたんまり置いておけよ」
「はい!皆さんたくさん食べられますからね」
思わずクスリと肩を揺らした。
彼らとの食事は戦争といっても過言ではない。平助くんなんていつも叫んでいたくらいだ。食べている時間よりも叫んでいる時間のほうが長かったかもしれない。
「ついでに濃い茶も持って来れりゃ良いんだけどな。いくらなんでも湯は運べねぇし……。なに、お前らいつも戦場で汚ねぇ水飲んでたんだ。それに比べりゃ綺麗なもんだろ。総司あたり細けぇこと言いそうだがな。勘弁しろ」
ふっと笑った土方さんに私もつられて笑う。
そして、小さく息をついた。
「皆さん、笑って見守ってくれているでしょうか……」
呟くと土方さんは、馬鹿だな、と泣きそうな顔で笑った。
「あのお天道様が見えねぇのか?近藤さんの豪快に笑った顔が俺の目に浮かぶぜ?それにあの雲は斎藤、あっちは源さんだな。…山南さん、山崎、平助…、総司」
蒼空を見つめて、かつての同胞の名を連ねていく。
「皆、笑ってるさ。……だろ?」
眩しそうに顔を歪めながら彼は笑った。
その笑顔に、不意に涙が頬を伝った。
自分でも何故だかわからない。
青空の下、眩しそうに太陽を見上げてひとりたたずむ彼を見ていると、無性にやりきれなくなった。
儚い。
なんて命ははかないのだろう。
なんて人ははかないのだろう。
ただぽろぽろと涙を流す私に気付いて土方さんはまた笑う。
眉をハの字にして、仕方ねぇな、と笑う。
そして静かに私を抱締めた。
「ひ、じかたさん」
「俺はどこにもいかねぇよ。ここにいる。感じるだろ?」
とくとくと脈打つ彼の鼓動が体に伝わる。
「……はい」
「だから、……泣くんじゃねぇ」
「……はい」
先ほど消えてしまうかのように見えた土方さんの暖さがわたしの体に染み込む。
陽の光を受けて、彼の身体はすこし汗ばんでいるくらいだ。冷や汗とは違うものだとわかるそれだった。羅刹の血はすっかり薄れてしまったのだろう。
土方さんはまた空を見上げた。つられてわたしも空を見上げる。
ああ
わたしにも、見えました。
近藤さんの、沖田さんの、平助くんの、皆の
笑顔が
また涙を零したわたしに、手の届かねぇトコにいるあいつらより俺の隣りにいる千鶴に笑ってほしいんだがな、と土方さんは笑った。
その目じりは少しだけ涙でぬれていた。
「…おい、俺の服で鼻かむな」
「すみません。つい」
「ったく、しょうがねぇ奴だな。ってオイべちゃべちゃじゃねぇか!きたねぇな!!」
「えへへ?」
「………やっと、笑いやがった、な」
「……土方さんこそ」
「うっせぇ」
その日、私と土方さんは五稜郭の裏にある桜の木の下に来ていた。日差し眩しい、風の強い日だった。
小さなの窯の中で、さっき川から汲んできた水がちゃぷんと揺れる。そこに映る私の表情は、窯の底が暗いせいかはっきりとは見えない。ただ、明るい表情ではないことくらいはわかった。首を小さく振って、ぼんやりと佇んでいる土方さんの背中に声をかける。
「土方さん。お水、汲んできました」
「ああ、悪いな。重かっただろ」
「これくらい平気ですよ」
「………ありがとな」
照りつける陽射しとは裏腹に土方さんは涼しげに笑った。穏やかでやわらかいその笑みに、私の頬もつられて緩む。
ちゃぷん、と窯の中で水が揺れた。風が吹き抜ける。
木と草しかないただの平原のここには、陽射しから身を守るものは何もない。それでも暑さを感じないのはこの強い風のおかげだろう。ただ風が吹きぬけていく。
「……土方さん」
「どうした?」
「あの……ほんとにここで良かったんですか?」
「どういう意味だ?」
「きちんと墓前にお参りに行ったほうが……」
風しか吹いていない、なんでもない平原。なんにもないただの平原。
かつて、土方さんが風間さんの心の臓を貫いた場所。
「ここで良いんだ」
土方さんは近場にあった大きな石に持っていた花を置いた。 来る途中、たまたま咲いているのを見つけたミソハギを摘んできたのだった。ミソハギの紫が石の灰色を覆い隠す。その上から水をかけると石に花がはりついた。
「近藤さんたちの墓前にゃ、生きていたら新八たちが参ってるはずだろ。……俺はここでいい。ここが良いんだ」
土方さんにならって私も目を瞑った。あの時のことが、まるで昨日のことように脳裏によみがえる。きっと土方さんも同じだ。彼の吐き出す息が少し震えているのも、そのせいだ。
最後の最後まで、土方さんが新撰組として在った場所。
「奴等の墓の前は、墓の前でしかねぇんだよ」
その声は震えてはいなかった。
罰当たりなことかもしれない。けれど、土方さんの言いたいことは痛いくらいにわかった。
濡れた石を背筋を伸ばして見つめる彼に手をのばす。少しでも同じ気持ちで居たかった。困ったふうに眉を小さくあげた土方さんは、私を優しく包み込んでくれた。
とめどなく吹き続ける風に二人で悪戦苦闘しながらも、なんとかお線香に火をつけることができた。まだ濡れている石の上にそっと置く。苦労したかいあってか、まだ湿っている石の上に置いてもお線香の火は消えなかった。
「千鶴、米もたんまり置いておけよ」
「はい!皆さんたくさん食べられますからね」
思わずクスリと肩を揺らした。
彼らとの食事は戦争といっても過言ではない。平助くんなんていつも叫んでいたくらいだ。食べている時間よりも叫んでいる時間のほうが長かったかもしれない。
「ついでに濃い茶も持って来れりゃ良いんだけどな。いくらなんでも湯は運べねぇし……。なに、お前らいつも戦場で汚ねぇ水飲んでたんだ。それに比べりゃ綺麗なもんだろ。総司あたり細けぇこと言いそうだがな。勘弁しろ」
ふっと笑った土方さんに私もつられて笑う。
そして、小さく息をついた。
「皆さん、笑って見守ってくれているでしょうか……」
呟くと土方さんは、馬鹿だな、と泣きそうな顔で笑った。
「あのお天道様が見えねぇのか?近藤さんの豪快に笑った顔が俺の目に浮かぶぜ?それにあの雲は斎藤、あっちは源さんだな。…山南さん、山崎、平助…、総司」
蒼空を見つめて、かつての同胞の名を連ねていく。
「皆、笑ってるさ。……だろ?」
眩しそうに顔を歪めながら彼は笑った。
その笑顔に、不意に涙が頬を伝った。
自分でも何故だかわからない。
青空の下、眩しそうに太陽を見上げてひとりたたずむ彼を見ていると、無性にやりきれなくなった。
儚い。
なんて命ははかないのだろう。
なんて人ははかないのだろう。
ただぽろぽろと涙を流す私に気付いて土方さんはまた笑う。
眉をハの字にして、仕方ねぇな、と笑う。
そして静かに私を抱締めた。
「ひ、じかたさん」
「俺はどこにもいかねぇよ。ここにいる。感じるだろ?」
とくとくと脈打つ彼の鼓動が体に伝わる。
「……はい」
「だから、……泣くんじゃねぇ」
「……はい」
先ほど消えてしまうかのように見えた土方さんの暖さがわたしの体に染み込む。
陽の光を受けて、彼の身体はすこし汗ばんでいるくらいだ。冷や汗とは違うものだとわかるそれだった。羅刹の血はすっかり薄れてしまったのだろう。
土方さんはまた空を見上げた。つられてわたしも空を見上げる。
ああ
わたしにも、見えました。
近藤さんの、沖田さんの、平助くんの、皆の
笑顔が
また涙を零したわたしに、手の届かねぇトコにいるあいつらより俺の隣りにいる千鶴に笑ってほしいんだがな、と土方さんは笑った。
その目じりは少しだけ涙でぬれていた。
「…おい、俺の服で鼻かむな」
「すみません。つい」
「ったく、しょうがねぇ奴だな。ってオイべちゃべちゃじゃねぇか!きたねぇな!!」
「えへへ?」
「………やっと、笑いやがった、な」
「……土方さんこそ」
「うっせぇ」