金曜ロードショー
 琥一くんが仕事から帰ってくるのを待つ以外することがなくて、何気なくテレビをつけると丁度映画が始まったところだった。話題作だったのに見逃し続けていた洋画で、思わず
「ラッキ」
 と弾んだ声がでた。小さな1DKの部屋のほとんどを占領するソファの真ん中に腰をおろし、クッションを抱く。コイツだけは譲れねぇと言って琥一くんが買ってきたそのソファは、私の重みを感じると柔らかく沈んだ。テレビとベットと小さなテーブル。それにこのソファ。琥一くんが借りたワンルームに置かれてあるものはたったそれだけだ。あとはダイニングに行けば冷蔵庫、玄関脇に洗濯機が置いてあるくらいだった。マメな琥一くんらしく、金・土と私が泊まりに来ている間も掃除や洗濯はかかさなかった。きっと私なんかよりよっぽど主夫に向いているのだろう。付き合いだして2年を迎えようとしている私としては、自分より彼氏のほうが家事がうまいのは、正直言って少々複雑な心境ではあるのだが、こればかりはどうしようもない。
 カッコいい俳優のシリアスな表情がクローズアップされ、テレビはCMに入った。ソファから立ち上がり、冷蔵庫からさっき自分が買ってきた1リットルのオレンジジュースを取り出して、そのままテーブルに置く。とぽとぽとグラスに注ぎ終わったとき、丁度本編が再開された。バリッと、これまたさっき自分が買ってきたポテチの袋を開ける。もちろんのり塩だ。ポテチは、のり塩と言ったらのり塩なのである。ガサガサとビニールを横に片づける音にまぎれて、玄関のドアノブがガチャリと回る音がした。次いで、
「美奈子? もう来てんのか」
 と声が響いてくる。集合住宅の夜9時過ぎということを考慮してか、琥一くんの声はいつもにまして低かった。
「うん。おかえりなさい」
 映画に視線を奪われつつも玄関まで迎えにいくと、スーツの前を全て開けた琥一くんが革靴を脱いだところだった。首にするりと手が回り、頬に軽く口付けられる。コロンと汗が混じったような匂いがした。
「メール見た?」
「ああ」
「ごはんは?」
「ツレと食ってきた」
「じゃあお風呂どうぞ。湧いてるよ」
「おう」
 ネクタイを緩めた彼は、鞄をそのまま玄関に置いてお風呂場へと向かった。ワンルームにしては珍しく、きちんと浴槽がついているこの部屋でも、脱衣所までは作られていない。鞄を脇に抱えながら脱いだスーツを預かって、私は映画の流れる部屋に戻った。スーツをハンガーにかけ、軽くファブリーズを吹きつけたあと、琥一くんの着替えをお風呂まで持っていく。
「ここ、置いとくね」
「おう。悪ぃな」
 くぐもって聞こえた声に、いいよとだけ答え、心持ち早歩きでソファの真ん中に座った。幸い、話が追えなくなるほどの展開はなかったらしい。私はすぐに映画の世界に引き戻されていった。


 水音がやみ、シャンプーと石鹸の甘い匂いが部屋に流れ込んできた。再びCMに入ったところだったので、私は空いたグラスをオレンジジュースで満たした。口がしょっぱくなってきたので、ポテチをテーブルの脇に追いやり、チョコチップクッキーの箱を開けた。口に咥えながらソファの上に足を延ばす。天井を仰ぐようにして体を横たえたが、顔だけはテレビの方を向けた。咀嚼したクッキーを流し込もうとグラスに手を伸ばすと、いつのまに部屋に入ってきていたのか、琥一くんの手に持って行かれてしまった。
「…はーーっ。……なんでジュースなんだよ。クソ甘ぇ」
「一気飲みしといて文句言わない」
 軽く睨みあげながら、コクンとクッキーを飲み下す。琥一くんの髪から、ポトリと一粒雫が落ちた。わしわしと肩にかけたタオルで髪を拭きながら琥一くんが言った。
「もうちょい詰めろ」
「……んーー…」
 ずりずりと足のほうへ寝たまま上半身を引き寄せて、琥一くんがひとり座れるくらいのスペースを作った。どっかり座った彼の重みで、ソファが沈み、ズンと高さを失う。テーブルが視界の邪魔をした。CMは明けている。
「テレビが観れない……」
 呟きながら、彼の大きな腕に頭をのせる。おお。ベストポジション。
 だったのに、琥一くんは腕をどけてしまった。支えを失ったバランスを崩した身体が落ちそうになり、慌ててソファにしがみ付く。彼が伸ばした手は、ポテチを2枚掴んでいた。
「ポテチはコンソメだっつってんだろ」
「のり塩だって」
 そのまま頭を下におろせば、丁度ひざまくらの体勢になった。画面は少し見づらいけれど、これはこれで心地良い。ほっぺたを緩ませながら、私はチョコチップクッキーに手を伸ばした。
 ついに主人公の過去が明かされようとしている。
「……美奈子」
 微かに掠れた低い声で私の名前を呼んだ琥一くんの手が、キャミソールの隙間から忍び込んできた。胸元に無骨な指先が触れるのを感じて、クッキーをかみ砕きながら、彼の手の甲の皮を伸ばしてねじる。
「観えない」
「……いいだろ」
「ダメ」
 即答すれば、チッと舌打ちが降ってきた。首筋から耳の裏へと、触れるか触れないかの距離で人差し指が撫でていく。
「ん…っ」
 くすぐったさに思わず高い声が漏れた。
 反応に満足したのか、琥一くんはクッと小さく喉で笑い、
「オラ退け」
 と言った。唇を尖らせながら頭を宙に浮かせる。彼が立ち上がると、深く沈んでいたクッションが反動で戻った。危うく体勢を崩し、再びソファにしがみ付いた。横倒しになるところだ。
「着とけ」
 差し出されたパーカーに首を捻る。琥一くんは不機嫌そうに視線を外しながら、それを押し付けた。
「触れねーんなら目に毒だからな」
 そこまで露出しているとは思えなかったが、確かに襟ぐりが大きくあいたシャツだったので、体勢によっては色々と見えてしまうのだろう。私は有難くパーカーを受け取った。ジッパーを全部あげると、一種のワンピースみたいになるほどの大きさだった。
「ー……。まあ……、そんなモンだろ。悪かねぇ」
 微かに目元を染めた琥一くんは、ソファに身体を戻すのかと思えば、その前に腰を下ろしてしまった。ソファを背もたれにして、のり塩のポテチを齧る。
「ここに座らないの?」
「襲ってもいいならな」
「バカ」
 その返答が不満で、私もソファから立ち上がった。琥一くんこだわりの品に背を向け、彼の足の間に腰を下ろす。
「おい、お前なぁ……」
 今度の背もたれはちょっと硬いけど、何よりも安らげる居場所だ。コテンと頭を預ければ、琥一くんは、ハァ、とため息を漏らした。
「ったく、人の気も知らねーで……」
「ふふ」
 琥一くんの手を取ってお腹に巻きつけた。暖かい。アゴがことんと、私の頭に乗せられた。
「私の頭はアゴ置き場じゃなーいー」
「俺もテメェのソファじゃねーよ。構わねーだろ。丁度いいんだから」
「もう……」
 主人公の敵の過去に、思わず2人で息をのんだ。
 明かされた真実。宿敵の本当の想いが語られたとき、ポトリと雫が頬に落ちてきた。
 琥一くんの髪はもう濡れていないはずだ。悲しくて切ないシーンのはずなのに、私は笑みを堪えるのに必死だった。















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