なんか、もう。なんだか、もう。顔がニヤケて止まらなかった。
設楽先輩が私の部屋にいて、私の隣に座ってる。ふたりきりの部屋で、同じ空気を吸っている。それだけのことなのに。
幸せすぎて、にやける頬が止まらない。
久しぶりに会ったせいか、ドキドキドキと鼓動は高鳴り続ける一方で。澄ました顔で隣に座る先輩を盗み見た。触りたいって言ったら、きっと顔を赤くするんだろう、なんて想像して、また一人でにやける。
女の子がはしたない、なんて遠慮はしてられない。
だって久しぶりに会ったんだから。またいつ会えるかわからないんだから。
今触れなくて、いったいいつ触れれるというんだろうか。
手を設楽先輩に重ねてみた。ピクっと反応したくせに言葉を発しない彼が愛おしい。
くつくつと肩を揺らすと、拗ねた声で設楽先輩が言った。
「………声を出して一人で笑うなよ」
「あ、声出てました?」
「思いっきり出てた。ウヘヘヘとか、女の笑い方じゃないだろ」
「そ、そんな風に笑ってません! えへへへ程度だったはずです」
「いいや、ウヘヘヘって言ってた」
「えへへへ!」
「うへへへ!」
もう。せっかく甘い気持ちになっていたのに。
私たちは一瞬にらみ合って、けれどすぐに一緒にため息をついた。
「せっかく設楽先輩が帰国してるのに、ケンカはやめましょうよ」
「そうだな。時間がもったいない。おまえもたまにはいいこと言うじゃないか」
「一言多い」
「俺は当然のことを言ったんだ。多くない」
「……じゃあ、先輩、良いこと言った私にご褒美ください」
「ご褒美?なんだよ」
怪訝そうな顔をした設楽先輩の肩をつかんだ。
「っ!?」
「抱きしめていいですか」
「だ、ダメだ」
「……耳にちゅーしていいですか」
「い、嫌だ」
「………首に噛み付いてい」
「大丈夫かおまえ!」
逆に肩をつかみ返された。そのままぶんぶんと揺さぶられる。
「何かに乗っ取られてないか!? 霊か!? 欲求不満な幽霊でも降霊してるのか!?」
「だ、だいじょうぶ、」
「自分の名前を言ってみろ! 花子か!? 貞子か!?」
「美奈子です〜……」
「美奈子め……っ!」
「いやいや、私です、正気です、設楽先輩」
肩から手を離した設楽先輩は、それはそれは盛大なため息をついた。
「じゃあ正気なおまえに聞く」
「なんでしょう?」
「……だっ、」
「だ?」
「抱きしめていいか」
「だめです」
「耳に、ち……っ、キ、キスしていいか」
「嫌です」
「首に噛み付いてい」
「いわけないじゃないですか」
「だったらどうして俺に聞くんだよ! わかるだろ!」
ぷいっと設楽先輩が顔を背けた。けれど柔らかい猫毛の間から見える耳はそりゃもう赤かった。むしゃぶりつきたいという表現ではあまりに俗すぎるか。いやでも。
「耳にちゅー…」
「ダメだって言ってるんだ馬鹿!」
ああもう! と防御するかのように耳を両手で塞いで、今度こそ背中を私にむけてしまった。
「あの、先輩……怒りました?」
「聞こえない」
「嘘、聞こえてる」
「セクハラ女の声なんか聞いてたら耳が腐る」
「ひど…っ」
「ひどいのはどっちだ!」
ぐるんっと設楽先輩が勢いよく振り向いた。
視線が重なる。設楽先輩の瞳が揺れた。瞳だけじゃなくて、設楽先輩の姿そのものが滲んで見えた。
今度は、私が背中を背ける番だった。
「おい、美奈子……?」
「だ、って……っ」
「あ、いや、確かに今のは言い過ぎた……。俺が悪かった」
「別に……っ、どうせ私はセクハラです」
「そこは否定しない」
「否定しないんですか!?」
「だってそうだろ。耳とか首とか」
ハァ…と掠れたため息が耳にかかるとともに、甘い匂いがした。後ろからそっと包み込まれているのに、ぞくりと背筋が震えた。
吐き出す息に甘い声が混じりそうだ。きゅっと心臓を掴まれた心地になる。私は膝を強く抱えた。
「……この状況で、これ以上おまえに触れてみろ。まだ昼間だぞ。下におまえの両親もいる」
「……わかってます」
「そんな中で、そんなこと言うおまえはひどくないのか」
「……でも、先輩」
「俺だって我慢してるんだ、わかれよ」
「先輩がダメなんです」
「はあ?」
肩越しにり振り返ると、すぐ近くに愛しい顔があった。こんなに近いの、何か月ぶりだろう。もうダメ。キスしたい。
熱い頬のまま見つめると、なんだかまた涙が溢れそうになった。潤んだだけで、一筋落とすのはなんとかこらえた。
「……卑怯だろ」
「先輩……」
「……頼むから、そんな顔するな。そんな声……出すなよ」
「先輩がダメなんです」
「俺じゃない。お前だよ。だいたい、俺の何がダメだっていうんだ」
「先輩が……かわいすぎるから」
「………はあ!?」
素っ頓狂な声が部屋に響いた。
「私、愛されるより愛したい派なんです」
「美奈子、おまえ何言ってるんだ?」
「だから、触れられるより触れたいっていうか」
「じゃあわかるよな。俺もおまえに触りたい」
「セクハラ」
「なっ!そ、そっちだって同じだろ!?」
「設楽先輩のえっちー」
視界が反転した。
ものすごく切なげな目をした設楽先輩が私を見下ろしている。
「知ってるか?」
「な、何、」
「俺のほうが、お前に触りたくて仕方ないんだよ」
くっと押し付けられた唇は、乾いていた。
「もう知らないからな。煽ったのはオマエだ」
「もともと先輩が私を煽るから―」
「黙れ」
最初からこうしてくれたらよかったのに。
大体数か月かぶりに会って、抱きしめもしないキスもしないなんてそっちのほうがおかしいんだ。
先輩が私の唇をむさぼっている間、反応してる彼をそっと撫でてあげた。切なげに、抗議の声が上がる。
「んっ、や、やめろよ」
「だから、言ってるでしょう? 愛されるより愛したい派なんです、私」
言葉に詰まった設楽先輩が、私の首筋に噛み付いた。
「ふ…、ん……っ」
揺れるふわふわの髪の毛がくすぐったくて、思わず身を捩った。でも、負けてなんていられない。私だって設楽先輩を抱きしめていい子いい子して、耳にも首筋にもキスしてやるんだから。
「んふぁ…っ!」
言いたかった言葉は、いつの間にか彼の中に呑まれてしまっていた。
キスキスキミと