不二山 
 校舎裏の花壇に、貰ったばかりの女王のガウンが汚れるのも厭わず腰かけた。さっき嵐くんに言われた言葉が引っかかっていて、頭の中を何度もリフレインする。例えば今みたいな、顔をしかめて仏頂面をしているわたしを見れば、投票を取り消す人も多いんじゃなかろうか。
 ローズクイーンなんて、わたしにはとてもアンバランスな称号だ。
 頬を撫でる11月の風に、眉間の皺がいっそう深まった。
 『高嶺の花』なんて、嵐くんは一体、どういう意味で言ったんだろう。
 わたしはわたしでしかないはずなのに。このガウンをもらう前ももらった今も、小波美奈子は小波美奈子でしかないはずなのに。
 わけのわからない焦燥感で胸が焼けて、つま先で土を掘り返した。ローファーで蹴った小石の行く先に、見慣れたスニーカーが現れた。それだけで、その靴の持ち主が誰かなんてわかってしまう。
 顔をあげると、
「こんなとこに居たんか。探した」
 ブレザーを脱いだ嵐くんが立っていた。
「他の連中も探してる。ダメだろ。主役が逃げ出したらつまんねーじゃん」
「……なんか、見世物パンダっぽくてさ」
「うれしくねーの?」
「貰った瞬間は嬉しかった。今は……。わかんないや。なんか悲しいかも」
「ふーん…? なんで」
 答えを探して俯いたわたしの隣に、嵐くんが腰かけた。彼の体温は高い。近くにいるだけで熱を感じて、わたしの胸はどきりと高鳴った。こんなに近くに居るのに、高嶺の花なんて言って、わたしを遠ざけたのは嵐くんだ。
 ぽつりと、答えが口をついて出た。
「……嵐くんのせいかも」
「えっ!? 俺!?」
 心底びっくりした顔に、思わずぷっと噴き出した。身体をほぼ直角に折り曲げて、腹を抱える。嵐くんは、あっという間に不機嫌な表情になった。
「俺、なんかしたか?」
「なっ、なにも、なにもしてないけど……っ」
「何だよ。ハッキリ言わねーとわかんねぇよ」
 鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔がツボにはまりました。
 なんて言えるわけもなく、わたしはげらげらと笑い続けた。やっぱり、女王なんて称号はわたしには分不相応な気がする。こんなふうに、色気のかけらもなく笑うなんて。
 息も絶え絶えに笑うわたしにつられたのか、ついに嵐くんもぷっと噴き出した。そのことにわたしもほっとして、また笑った。訳もなく、なんだかおかしかった。
 ようやく息をついたとき、嵐くんがぽつりと漏らした。
「……なんか、ほっとした」
「え?」
 わずかに滲んだ涙を拭いながら問いかけると、彼は眩しそうに目を細めた。
「わかんねぇ。でも、たぶん」
 ガウンの袖口をくいっと軽く引っ張られた。嵐くんらしくない、小さな子供みたいな仕草に、思わず目を瞠る。
「何着てても、お前はお前だってわかったからかも」
「……な、に、それ。当たり前じゃない」
「そうだな」
 ふいに遠くのほうから、わたしの名前を呼ぶ声がした。絡ませていた視線を嵐くんがパッと離した。
「……忘れてた。みんなお前のこと探してたんだった」
 ぽん、と軽く背中を叩かれる。
「ほら行ってこい、ローズクイーン。ちょっと悔しいけどな」
 ああ、腕にまとわりつく、大ぶりのガウンが邪魔だ。
 立ち上がったわたしと一緒に来る気はないらしく、嵐くんは座ったまま顔をあげた。初めてひとりで留守番を言いつけられたかのような、置いて行かれる小さな子供みたいな目をしていた。
 きゅう、と胸が締め付けられる。
 わたしは、ここに居るのに。
 嵐くんの肩にそっと手をのせて、前に屈んだ。見開かれた、おおきなひとみ。わたしはそっと目を伏せた。
「美奈―……」
 言葉を紡ぎ損ねた彼の鼻先に、自分の唇を押し付ける。
「……わたしの居場所って、ここで、いいんだよね?」
 問うてみても、嵐くんはただただわたしを見つめ返すだけだった。耐え切れなくて、
「じゃあ、行ってくる」
 と、肩から手を離した。体をくるりと反転させるとすぐに、ローファーで地面を強く蹴った。今もまだ、嵐くんはさっきと同じ、鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔をしているのかな。おかしいな。さっきは面白くて笑っちゃったのに、今はなんか悲しいや。右手の甲で、熱く火照った頬をぬぐったのと、腕を何かに掴まれたのは同時だった。
「っきゃぁっ!?」
 後ろに強く引き寄せられて、ゴツンと額が熱い何かにあたった。思ったより痛くなかった。
「悪ぃ」
 降ってきた声に顔をあげる。一方で、嵐くんは自分の口元をわたしの肩に押し付けるように頭を下げた。 耳に直接、言葉が入り込んでくる。
「色んなことが頭回って、反応が遅れた」
「え、ええと」
「でも、これだけはわかる」
 ハァッと息を吐いた嵐くんが、顔をあげた。身体が少し離れて、真摯な瞳がわたしを見つめた。
「行かせたくねぇ」
「え……?」
「お前は俺だけのもんだ」
 見つめあうこと数秒。何も言えないでいると、さっきよりも不安そうに、嵐くんが顔をゆがめた。
「嫌か?」
 ぶんぶんぶんと首を左右にふる。嫌なわけ、ない。
「お前、それ振りすぎ」
 へにゃりと笑った彼が、もう一度わたしを強くだきしめた。しがみついて、泣きそうになるのをなんとか堪える。 わたしにガウンは必要ない。嵐くんの腕のぬくもりだけで、十分にあたたかいのだから。