たえちゃんが倉庫から持ってきてくれた小さめの鍬で、葉のついていない桜の木の根元を拳大ほどの深さに掘り返す。思った以上に宮ノ森家の庭の土は固く、農家の娘であるくせにそれだけでひどくくたびれてしまった。
でも、苦ではなかった。寒空の下、吹き出た汗を手の甲で拭きながら自分の傍らに視線を落とす。
小さな雀の亡骸は、当然ながら私が見つけたときから一分も移動していなかった。
「……ゆっくり、休んでね」
聞こえていないのは百も承知で、その小さな遺体に話しかける。
「まっすぐ仏様のところに行くんだよ」
水をすくい上げるようにして、その体を包み込む。温度は、感じなかった。そっと小さな穴に横たえた時、
「……何、してるの」
凛と透った声が後ろから聞こえた。顔を見なくても誰だかわかる。雅様だ。慌てて立ち上がりながら、後ろに手を回し、ついた泥を払った。
「ま、雅様が庭に出られるなんて、珍しいですね」
「……お前の姿が見えないから探したんだけど。てゆうか、なんで僕がおまえを探さなきゃいけないんだよ。おまえは僕の専属使用人でしょ?」
「申し訳ありません……」
浴びせられた弾丸に身体を縮こめると、ふぅっと息をついた雅様は、大して気にしたふうもないように
「ま、いいけど」
と言った。
「探していたということは、私に何か御用でしょうか?」
「うん。部屋に珈琲、持ってきてもらおうと思ったんだけど。まあいいや。それよりおまえ、僕の質問に答えてないんだけど?」
「え?」
「何してるのって聞いたんだよ」
眉をあげて不機嫌そうに腕組みをする。私は正直に答えるべきかどうか迷って、言葉に詰まった。
雅様はきっと、鳥の死骸を埋葬していたと言えば心底気味悪がるだろう。かといって嘘をつける相手ではないし…。
「その通りだよ。僕に嘘は通じないんだから。おまえってわかりやすいし」
まるで私の心を読んだかのように、迷いを言い当てた。
「つまり、隠すだけ無駄ってことさ。わかったらとっとと何していたのか言うんだね」
指先についた泥を、チリ、と擦った。気味悪がられるかもしれない。死骸を触った、なんて言えば、『そんな汚い手でもう二度と僕に触れるな!』と、言われてしまうかもしれない。
それでも、私は口を開いた。
「……埋葬を」
「埋葬?」
「雀が、その、死んでおりましたので」
「そんなの、ゴミ箱にでも入れておけばいいんじゃないの?」
燃やしちゃいなさいよ、と言ったたえちゃんの声が脳裏に蘇った。土に還したいと、わがままを言ったのは私だ。
手で地面を掘り返そうとした私に、たえちゃんは無言で小さな鍬を貸してくれた。
「どうしてわざわざ埋めてやる必要があるのさ」
棘を含んだ、というより、ただ純粋に疑問をもったらしいその口調に、わたしは小さく安堵した。
視線を桜の木に移す。
「死骸があった場所が、桜の木の傍でしたので……」
「だから?」
「もしかして、この子は最後に桜を見たかったんじゃないかなぁって、思ったんです」
まるで、桜を見るために戻ってきたような。葉のついていない拾弐月のその木を見て、力つきるように逝ったかのような、その亡骸。
「……私の勝手な想像です。ただの偶然かもしれません」
むしろ、偶然であることの可能性のほうが高い。
「それでも、この木の傍で眠らせてあげたかった」
泥のついた手のひらを広げた。死んでしまったこの子に、私がしてあげられることはこれくらいしかないのだ。こんなことしか。
「……そうだね。それは、おまえの勝手な妄想でしかない」
淡々と言った雅様の言葉に、私は小さく頷くしかできなかった。
「でも」
紡がれた言葉に、私は顔をあげた。
「でも、すごくおまえらしいよ」
柔らかな微笑みが、そこにあった。
「雅様………?」
「出かける。準備して」
「っ、は、はい!」
掘り返した土を慌てて被せて、亡骸を埋める。もう光すらうつさないその瞳が、この桜の木を見ることはないんだろう。
でも、だからこそ、この木を伝って、逝ってほしかった。どうか、どうか安らかに。
「あ、でもおまえはついて来なくていいから」
「え?」
「僕が出かける準備だけでいい」
「で、ですが」
「着替えるから、コート出しといて。寒いから厚手のやつで。車の手配もしといてよね。酔い止めの薬の用意も忘れないで。それから、僕がいない間は部屋の掃除、やっといて」
てきぱきと出された指示をなんとか飲み込んで、
「では、まず運転手を呼んできます!」
と走り出した。その手首を、さっと掴まれる。後ろに引っ張られて、転びそうになった足をなんとか堪えた。
「ま、雅さ」
「………おかしいな」
「え………?」
「変なの。死体触った手だっていうのに、どうして気持ち悪くならないんだろ」
ぱっと離された途端、支えを失って再びよろけた。
「ちょっと。しっかりしてよね」
「……わかりました! 申し訳ありませんでした!」
もう! 雅様が急に引っ張るからこけそうになったのに!
さすがに言葉には出せず、肩を怒らせて、再び運転手のもとに走った。
「変、変って」
独り言を言いながら雅様の部屋を掃除する。はたきで乱暴に本棚の上をはたくと、小さな花瓶まで揺れて落としそうになった。慌てて受け止める。
「……普通の使用人より、ちょっとそそっかしいかもしれないけど」
そんなに変なのかなぁ、と小さくゴチた。
「あれ、ちょっと萎れちゃってる……」
受け止めた花瓶に生けてあった花は、元気をなくしたように下を向いていた。
「確か、庭に水仙が咲いてたよね」
摘んで来よう。呟いて、ドアを開けた瞬間、
「わっ! びっくりした」
「え! ま、雅様!? お、お早いお帰りだったんですね」
「まあね。案外すぐにすんじゃったから」
「お帰りに気付かなくて、申し訳ありませんでした」
ぺこりと頭を下げる。つかつかと部屋に入ってきた雅様はコートをハンガーにかけた。
「部屋の掃除頼んどいたのは僕だし、こんなにはやく終わるなんて思ってなかったから別にいいよ。それより、珈琲、持ってきて」
「畏まりました!」
キッチンで珈琲を頼んだあと、淹れるまでにかかる時間で水仙をつんでこようと庭に向かった。
「……あれ」
桜の木の下に、小さな赤い花が植えてあった。
「これって、椿……だよね」
ここに亡骸が埋まっていることを知っているのは、私とたえちゃんと、雅様だけだ。屋敷内に、椿はまだ咲いていない。となると、必然的に、この花を供えた人物は決まってくる。
「………雅様」
早咲きで店に売り出されているものを、探してくれたんだろう。私みたいな使用人の戯言を受け止めて、安眠を祈ってくれたんだろう。
「雅様だって、十分変な主ですよ……」
その優しさに触れると、まるで桜が咲く季節のような暖かさが胸に広がるのだから。
胸に咲いた桜の花を感じながら、私はそっと手を合わせた。
どうかこの花が、ここに眠るこの子にも届きますように。
花びらに託す冥福