空になったまま膳の上に置かれていた湯呑に手を伸ばした。容器に残されたぬるい熱が微かに手に触れる。指先がおかしなほど震えていた。
 そっと、両手で包み込む。
 さっきまで斎藤さんが使っていたもの。
 鼓動が早くなりすぎて、心臓が痛い。
 この少し薄い陶器に、彼は口付けて私が淹れたお茶を飲んでいたんだ。
 そっと親指で飲み口を撫でた。
 すこしだけ、ぬれている気がした。
「なにしてるのかな?」
「っ!」
 伸びやかな声に肩がびくりと震えた。
 恐る恐る振り向けば、声の持ち主が柱に寄りかかってにっこりと笑っていた。
「えっ………と………その……」
「それ。僕の湯飲みだよね?」
「え!? 斎藤さんのじゃ!」
「そっか。ふうん。それ、一くんのなんだ」
 ちなみに僕のはこれだよ、と沖田さんは別の湯飲みを指差した。
 …………やられた………!!!!!
 頭をがっくりと下げると、微笑みを携えたまま沖田さんが私の前にしゃがんだ。
「千鶴ちゃんって、もしかして一くんのこと好きなの?」
「っ、うぅーーー……。」 
 にやにやと笑う沖田さんに私は唸るしか出来なかった。
 こんなの、恥ずかしすぎる………!!
「それ、どうするつもり?」
「なっ、なにって………!!」
「じっと見つめちゃってさ。何考えてたの?」
「……………っ」
 沖田さんが近付いてくる気配がする。
 けれど顔があつくて、恥ずかしすぎて、俯くしか出来ない。
「ここに、」
 さっき、私の親指が撫でたところを沖田さんは指差した。
「口付けたいとでも思った?」
「なッ………!」
 あまりのことに私は思わず顔を上げた。と、すぐ前に沖田さんの顔があった。
「…ふ、っ」
 息を飲む間もなく、唇を塞がれる。
「、ふ、んん、 」
 口内に異物が侵入してくる。
 歯列を撫ぜられ、した、が
 ――――なにも考えられなかった。
 気がつくと肩で息をしていて、頭は沖田さんの胸にもたれかかっていた。
「…一くんと、こうしたいと、思った…?」
 同じように肩を上下させていた沖田さんが口を開いた。
「そんなこと………!」
「じゃあ、どうして一くんの湯飲みなんか見つめてたんだ!」
 急に強くなった口調に思わず萎縮する。
 身を竦ませた私を見て、沖田さんは
「…ごめん」と、目を逸らしながら謝った。
 けれど掴まれた肩を離してくれそうにはない。
 こくりと唾を飲み込む。
「私、は、ただ…」
 斎藤さんに近付きたかっただけ。
 答えると沖田さんは困ったように笑った。
「同じだよ」
「え?」
「きみに口付けた理由」
「……う、」
 嘘、と言おうとしたけど、頭を沖田さんの胸に押しつけられて声にならない。
「ずっと、君に近付きたかった」
 頭を押えていた腕が体に回される。
「………一くんのものになんかさせない。」
 力強く回された腕から逃れなくちゃいけないのに、何故か手に力が入らない。
 ただ、強く抱き締められたまま、私は動けずにいた。