「はぁっはぁっ! っはぁ!」
 ここまでくれば大丈夫か、と長い髪をなびかせながら藤堂平助は足を遅めた。
「っはぁ、はぁ……はぁ」
 彼らは……、新選組の連中は、俺の姿を見ただろうか?
 胸に残った小さな引っ掛かりに、平助は首を左右に振った。
 もし見られていたとしても、きっと、きっと千鶴がごまかしてくれる。
 自分はもう御陵衛士となったのだから、新選組に属するものとの交流は断たねばならない。たとえ新選組隊士ではないとはいえ、千鶴もそれに含まれるはずだ。だったらきっと、わざわざ俺と会ったなんて言わないだろう。
「……はぁ、」
 にやり、と平助の頬が緩んだ。
 何馬鹿なこと心配してんだよ、俺
 そもそも千鶴は自分の保守のためにそんなことは言わない。俺のために、きっと「誰とも会っていない」というはずだ。千鶴は、そういうやつだった。
 次第に呼吸は整っていき、十分な酸素が体中に渡っていった。平助自身、自分の思考に余裕が出てくることでそのことが実感としてわかった。
 真っ先に脳裏に浮かんできたのは、ほかでもない、千鶴のことだ。
 アイツ、どこも怪我してなかったよな。
 先ほどの戦闘を思い出して、平助は、下唇を強く噛んだ。
 また、天霧とかいう野郎を倒せなかった。
「不ッ甲斐ねぇの……」
 好きな女一人、満足に守れないなんて。
 平助は自然と足を止め、空を仰いだ。
「情けねえ……。男、失格じゃんか」
 ちかちかと星々が輝く中、一際大きな月が平助の目を捕えた。
 その優しいあかりが、なんだか千鶴みたいだと思うようになったのは、いつの頃からだろう。
 月を見れば、千鶴のことばかり考えているようになったのは、いつの頃からだろう。
 目を閉じれば、平助の脳裏に千鶴の笑顔が浮かび上がった。心は、彼女と過ごした日々を追いかけていた。
「懐かしい、な……」
 次に平助の目に映ったのは、新選組の、仲間の面々だった。彼らの声まで、すぐそばから聞こえてくるようだった。  左之助と新八との掛け合い。
 総司や一との飽くなき稽古。
 近藤と土方から仕事を任されることで得る誇り。
 源三郎や山崎との命を懸けた密偵。
 島田と行った千鶴への土産探し。
 浮かんでくる想い出の中の自分は、ただただ笑っていた。どんな状況であっても、ただただ楽しんでいた。
 ……そうだよ。想い出、なんだよな。
 平助は一人、自嘲の笑みをこぼした。
 過去のことだ。今とは違う、楽しかった過去。
「ちづる………」
 彼女がなんの疑問も障害もなく隣に居てくれたのは、過去のことだ。
 平助は、ぐっと強く拳を握りしめた。
 左之助や新八に会いたいと思う。また笑って話して戦えたらと思う。
 千鶴のもとに帰りたいと思う。ただ、彼女のそばにいたいと思う。
 でも、俺はもう選んだんだ。引き返さない。振り返らない。一度決めた道を進む。
 好きな女一人、満足に守れないとしても、それでも俺は男なんだから。
 せめて、志くらいは強く、誰よりも強く。
「ほんとにさよならだ。千鶴」
 真っ直ぐと、ただ前を見て、平助は一歩を踏み出した。

 月はもう、見上げない。