ポン、とお腹に振動が走った。続けて2回、3回。それに応えるように、私もポンポンと自分のお腹を叩く。テレビを見ていた琥一くんは、くるりと首を回して私に顔を向けた。
「どうかしたか」
「ん? 赤ちゃんがね、おなか蹴ってるみたいなの」
「馬鹿、そういうこた早く言え」
遠慮も何もなしに、琥一くんは私の膨らんだお腹に耳を寄せた。優しく触れる自信がないなんて言っていた頃が嘘みたいな、優しい触れ方だった。
「あん? 聞こえねえぞ」
「うーん……。蹴らなくなっちゃった」
「ハァ……。またかよ……」
ポンポンと私がお腹を叩くと、琥一くんは体を起こした。心なしか肩を落としたような背中だ。琥一くんは、未だに赤ちゃんがお腹を蹴る音を耳にしたことがない。
「パパが怖いのかなあ?」
「パッ…!! バカ止めろ、その女々しい呼び方!」
「そう? 優しい琥一くんにはピッタリじゃない」
「なことあってたまるか! 俺のことは親父って呼ばせるって決めてんだからよ」
「えっ!? そうなの?」
「ったりめぇだろ」
「で、でも女の子だったら? 女の子でも親父って呼ばせるの?」
グッと言葉を一瞬詰まらせたものの、琥一くんはなんとか持ちこたえて、こっくりとうなずいた。そんなの初めて聞いた!
「やだ、じゃあ私は何て呼ばれることになるの?」
「あ? あー…。お前はアレだ、その、マ、ママ……とかでもいいんじゃねぇか?」
「えっ? 何て?」
「だ、だから、よ。その、マ、」
頬を赤く染める琥一くんが可愛くて、思わずニンマリしてしまう。それに気付いたのか、琥一くんは私の頭を大きな両手で挟んだ。
「美奈子、テメェコラ、わざとだな?」
「あははは、やーめーてー」
「上等だコラ。見ろ、頭に鳥飼えるぞ」
「もう! 絡まったらほどけにくいの知ってるくせに!」
「うるせ。言うほど絡んでねぇだろ」
ぐしゃぐしゃとかき混ぜられてしまった髪を手櫛で整える。どうしても絡んで解けないところは、結局琥一くんの手が助けてくれた。なんだかんだ言っても、繊細な手つきは優しかった。見上げた表情も、もうとろけてしまうくらいに優しかった。
「ねぇ、琥一くん」
「ん? どした」
声まで優しい。優しすぎるパパだ。
「……女の子だったら私、やきもちやいちゃうかも」
「ああん?」
「だって琥一くん、絶対子煩悩になると思う」
「バカ、なんねーよ。そんなタマかよ」
「なるよ! 絶対なる! 毎日お風呂に入れてあげたりとかするんだよ。で、髪の毛だって、こんなふうに優しい手つきで乾かしたりするんだ! それから、私のことなんて忘れちゃって一緒に寝るんだよ…!」
「やけにリアルな妄想だな……」
「やけにリアルに想像できるんだもん!」
「チッ……。しょうがねぇな」
絡まったところが解けたのか、琥一くんは頭を優しく撫でてくれた。そのままゆっくりと、彼の胸に引き寄せられる。さざ波のような穏やかな彼の手に、そっと目を瞑った。
「ヘンなトコで妬いてんじゃねぇよ」
「……だって」
サラサラと私の髪を琥一くんの指がとかしていく。この温もりが離れてしまうかもしれないと、そう考えただけで、心が小さく軋んだ。
「オマエは、んっとに……」
「わ、わかってるよ! 自分勝手だってことくらい、わかってるもん。ちょっと言ってみたかっただけ」
「なるほどな。……ま、俺は妬くだろうけどよ」
「え?」
「どっちかっつーと、美奈子の方がガキにかかりきりになんだろ」
「そう……かな」
「かな、じゃなくてそうなんだよ。言っとくが俺は乳出ねぇぞ」
「もう!」
「いて、叩くなバカ。事実だろ」
「もうちょっとオブラートに包んでよっ!」
「へぇへぇ。ま、とにかく絶対的にオマエのが俺に構ってる場合じゃなくなるんだよ。むしろそうじゃねーと困るっつーか。頭ではそれがわかっちゃいるんだが、それでも、俺ァ妬くぜ。何でだかわかるか?」
「……どうして?」
琥一くんが、頭を撫でてくれていた手を止めた。くいっと私の顎を捕まえて、ちゅっと軽く口づける。
「ん」
「お前は、俺の女だからだ」
「琥一くん…」
「けどよ、それでいいんじゃねーかって思う」
「ん……。どういうこと?」
柔らかく抱きしめられた腕の間から琥一くんの顔を覗き込む。けれど、頭を抑え込まれてしまった。くいっと胸に押し当てられる。脈打つ彼の鼓動が、いつもより少しだけ早く聞こえた。
「愛してるからだよ」
「………琥、」
「美奈子も、生まれてくるガキも、愛してるからだ」
回されていた腕の力が弱まった。琥一くんを見上げる。彼も私を見下ろした。
「お前が生む、俺の子供だ。愛おしいに決まってんだろ」
「私達の、子供…」
「ああ。俺とお前のガキなんだ。ちっとばかしなら、お前を貸してやってもいい」
「貸すって!」
「そうだろ。お前は俺のモンなんだからよ」
「そ、そうだけど」
「他人にゃ貸すどころか、見せんのも気に食わねぇっつってんだ。十分の譲歩だろ」
琥一くんは、くしゃりと私の髪を混ぜた。
「髪の毛一本残らず、美奈子は俺のもんだ。テメェのガキにだってくれてやるかよ」
「う、うん…」
「お前も、そう思っとけ」
「琥一くんを、貸してあげるんだって?」
「そういうこった。オメェもよ、コイツのこと、思ってんだろ?」
こくりと、大きく、大きくうなずいた。
「愛してる。琥一くんも、おなかの中の赤ちゃんも、愛してるよ」
「だったらいいじゃねぇか。そう思うんだったら、ちょっとくらい貸してやれ」
「………そうだね。うん。そうだ」
お腹をぽんぽんと叩く。呼びかけるように、伝えるように。
「ママの大好きで、大切で、大事なパパを貸してあげるから、元気に生まれてきてね」
「てめ、それで呼ぶなっつっただろ。親父だ親父」
「ママもいっぱいいっぱい愛してあげるからね。パパも、あなたにママを貸してくれるって」
「……ハァ。聞いてねぇな」
「琥一くんも、ね、叩いて」
呼びかけるように。伝えるように。愛してるよって伝えてあげて。
彼はそっと、私のお腹に手を伸ばした。力加減がわからないのか、優しく撫ぜるように触れる。その温かいリズムが、すごく、すごく彼らしいと思った。
「なぁ、おい、聞こえてっか。俺の一番大事なもん、貸してやっから、ゼッテェ生まれてこいよ。いいな?」
「あ」
「あ?」
「うごいた、」
「マジか」
間髪入れず琥一くんがお腹に耳をあてる。ぽこぽこと振動が体に伝わってくる。それはきっと琥一くんにも届いていて。お腹から体を離した彼は、少し、ほんの少しだけ鼻をすすった。
「生きてんだな。マジで、オマエん中で生きてんだな」
「……ん。愛おしいね」
「だな」
もう一度琥一くんはお腹に耳を寄せた。
「早く会いてぇな」
「うん……。あと5か月くらいだよね」
「待ってんぞ。オマエ抱き上げる日を、俺ァ待ってっからな」
「ふふ。やっぱり琥一くんは子煩悩になると思う」
「だ、からんなことねぇっつってんだろ」
「絶対ファーストキス奪っちゃうんだよ」
「な、いや、そりゃオマエ……」
照れたように頭をかく琥一くんを笑うように、ぽこぽことお腹の赤ちゃんも笑ったような気がした。
パパもママも愛しいあなたに出会える日を心の底から待ってるからね。
伝えたくて、琥一くんの手を取ってその胎動に応えた。
From
lyubov
その腕と唇に、触れることができる日が訪れるのをずっと待ってる