木枯らしが吹く冬の午後。先輩の部屋に来ている私は、外の寒さはどこへやら、熱くて甘いミルクココアを飲んでくつろいでいた。お腹はほこほこと暖かく、特に喋るでもないけど先輩とのんびり過ごすこの時間は幸せに満たされている。
(はずなのに、なんだろう)
 心臓の裏が泣くように軋むような感じがする。
 灯りのない部屋にいるような心地。逃れられない心細さ。
 枯れ葉が落ちるのは、窓の外の出来事のはずなのに。
「…せんぱい」
「ん……?」
 声で応えてはくれたけど、誉先輩はパンフレットに夢中で、視線すらあげなかった。
「……ココア、飲み終わっちゃった。適当においていい?」
(先輩、寂しいときは寂しいって言ってね、っていつも言ってくれるよね?)
「うーんと、水につけなきゃだから、そこのお湯入れといてくれるかな?」
「……はーい」
(気づいて)
「……先輩?」
「うん?」
(気づいて、先輩)
「……呼んでみただけ」
(先輩、私、今なんか寂しい)
「ふふっ。変な月子さん」
 誉先輩は口元で笑っただけで、相変わらずパンフレットをめくった。ちらりとも私を見てくれないなんて、ちょっと面白くない。
 そんなこと、口に出して言えるはずもなく。
 先輩に言われた通り、ケトルの余っていたお湯をコップに注いで、そのまま机の上に置いた。
 ことん。
 コップを机に置く、そんな些細な物音が響くほどの静寂。
(どうしよう。 何か曲でもかけようかな……)
 オーディオに手を伸ばしかけた手をすんでのところでひっこめた。
(いつもだったら、このくらい静かなのも気になってないんだよね。今まで音楽かけたりする雰囲気なかったわけだし。急にかけたら先輩に変に思われそう……)
 いつもの、この静かで穏やかな空気を壊すようなことはしたくなくて、結局私は何もしないで、ベットの上にもそもそと戻った。
 先輩は相変わらずベットを背もたれにしてパンフレットを読んでいる。
(ねえ、先輩)
 普段見下ろすことなんて、絶対できない彼のつむじを睨みつけた。
(寂しい。なんか、寂しいよ)
 口に出しては言えないから、先輩が見てるパンフレットを後ろから覗きこむ。
(もう。さっきから何をそんな熱心に…、って)
「教習所!?」
「っわぁ!」
 真後ろからの大声に驚いたのか、先輩の身体がビクリと撥ねた。
「あ、ご、ごめんなさい」
「ううん。それはいいけれど。急にどうしたの?」
「いえ、先輩が意外なもの見てたから」
 確かめるように、一度パンフレットに視線を戻して、誉先輩は照れくさそうな笑みを作った。
「うん。卒業したらやっぱり欲しいからね、免許」
「そっ、」
(そつぎょう……)
 一瞬先輩が何を言っているのかわらかなくて、その言葉を漢字に変換することさえできなかった。口をぱくぱくさせた私を、誉先輩が怪訝そうに見上げた。
「月子さん?」
「そ、そ、そっか、車かぁ。……なんだか、想像出来ないです」
「そうかな? 僕は君と遠くまで行けるようになるのが今から楽しみだよ」
「……先輩の運転かぁ」
 心配そうなニュアンスを込めると、
「あっ、言ったなー。そんなこと言うなら、知らないよ」
 珍しく誉先輩が唇を尖らせた。
「嘘、嘘です。先輩は絶対、絶対安全運転してくれそうだから心配なんて全くしてないです!」
「うむ。わかればよろしい。なんてね。ふふっ」
 君を助手席に早く乗せたいな、と笑って、再びページをめくりはじめた。
 きっと先輩はいま、どこに行こうかな、なんていう未来への期待でいっぱいなんだろう。でも、私は。
 私は。
(………卒業)
 何気なく使われた言葉に、胸のつかえがとれなくなっていた。
(誉先輩は、もうすぐ、卒業する)
 いつか必ず来る未来、それももう近い未来だとはわかりきったことのはずなのに。
 わかっていたはずなのに。
(それに、先輩が教習所?)
 車なんて、まだまだ自分には関係のない遠い世界のことで。
 けど、先輩は違う。
 卒業も、その先の未来も、ずっと身近に感じている。
(私と違って)
 今、こんなにも傍にいるのに。
 どこか遠くへ、私の追いつかない、手も届かないほど遠くへ行ってしまうかのような。
(………寂しい)
 パンフレットをめくる手は、すごく楽しそうだ。
 未来への期待と希望で溢れている。 
(どうしよう。先輩。私は、どうすればいいですか)
 この寂しさは、いったいどうすればいいのだろう。
 堪えきれなくて、先輩の後頭部を自分の胸に抱えこんだ。彼の首もとに両手を回し、ほっぺたを丁度つむじの真上にのせる。
 あたたかな温もりが胸に直接当たって、ひどく安心した。
「……どうかした?」
 普段ならしない、大胆な行動なのに、先輩は驚きもしなかった。
 ただ穏やかな声で聞いた。
「ううん。こうしたくなったの。駄目、ですか?」
「ふふ、全然構わないよ。柔らかくて暖かいから、気持ちいい」
「……良かった」
 ほっとしたのも束の間。
 何もないことに安心したのか、誉先輩はすぐにパンフレットに目を落とした。
「……………」
 むくれてみても、私は先輩の後ろにいるから気付くはずないんだけど。
 でも、伝わっていないのだろうか。
(こんなに近くにいるのに、こんなに寂しい、なんて)
 頬を膨らませた私に気づいてほしい。
(……かまってほしいんだ)
 思い切って、私は先輩の耳たぶに口付けた。
「ッ!?」
 さすがの先輩も驚いたのか、パンフレットを取り落とした。
「ちょ、」
 反応があったことがが嬉しくて、今度は舌でぺろっと舐めてみた。
(先輩の肌の味。……なんて)
「わぁあ!」
 びくりと体を震えさせた耳元に小さく、
「誉さん」
 でもちゃんと聞こえるように呟く。
「誉さん……」
 名前を呼びながら、軽く耳たぶをかじってみた。
「、こーら、ちょっと、」
「すき」
「―――もう、君ってひとは…」
 困ったようなため息をついた先輩は、振り返って私の肩を押した。体があっけなく後ろに倒れる。目を瞬くと、先輩越しに天井が見えた。
「え…? 誉さん……?」
「もう。全く、いつもは先輩って呼ぶくせに、こういう時だけ名前で呼ぶんだから」
 ちょっと拗ねたような口ぶりが可愛い。くすっと笑えば、すっと人差し指で首筋をくすぐられた。身を捩ると、スカートが少し乱れた。肌に直接、先輩の細い指が触れるのを感じる。
「ん…っ、こういうとき、名前のほうが良いって言ってましたよね?」
 伺うように見れば、先輩は嬉しそうに笑った。
「もちろん、そうだよ。でもね」
ブラのホックが解放されて、肌と生地の間に空気が入り込む。
「ふ……」
「やっぱり名前はいつも呼んで欲しいな。それから、」
 人差し指を私の顔の前で振った。
「寂しいときは寂しいって言ってっていつも言ってるでしょう? 知らないフリしたからってこんな強行手段に出るなんて、驚きだよ」
「、先輩、気付いて…?」
「…誉。気付いて当然です。君のことならなんでもわかるんだからね」
「ひ、酷い!」
 起き上りそうになった体を、誉先輩が押さえつけた。思いのほか強くて、抗えない。見上げると、口元を軽く上げて、先輩が微笑んでいた。
「今から、素直に言わなかったおしおきだよ」
「え、えぇ!?」
「声出そうになったら噛んでね」
 そう言って先輩はまた指を振った。
「ゆびを!?」
「気づいてたけど、ほっといちゃったから、僕にも罰。どんなに痛くしてくれてもいいから」
 唖然とする私を前に、先輩は思い出したように手を伸ばして、髪を撫でた。
「そうそう、その前に」
 先輩のさらりとした髪が、首筋をくすぐった。
「…っ」
「可愛い君にはご褒美をあげないとね」
 甘い甘いココア味のキス。
 それを感じたとき、寂しさなんてどこかに溶けてしまった。

090807 奏でた哀歌














久しぶりに読み返しましたが、恥ずかしくて土を掘り返してもぐりたいです。私の書く話の中でスタスカが一番甘いかも。砂吐きレベルです笑