縫い物をする私の背中に平助くんがもたれかかってきてから、随分と時間がたった気がする。お互い無言で背中合わせに座っていた。私に与えられたこの自室は北側にあるせいか、薄暗くて温度もあがらない。火鉢もないこの部屋では、平助くんの体温しか感じられなかった。
じんわりと温かい熱が背中に伝わってきて心地良い。平助くんが小さく動くたび、彼の長い髪が首元をくすぐった。
「なー、千鶴ー」
「なあに?」
「寒ぃ」
はーっ、と平助くんが天井に向かって吐き出した。きっとそれは白く染まっているんだろう。かくいう私の指先も、冷え切って赤くなっていたから平助くんの気持ちはよくわかった。
「腹も減った……」
「あはは、さっきお昼ご飯食べたばかりじゃない」
「んー…。俺育ち盛りだし。いくら食っても食い足りねーっての?」
「あんなにいっぱい食べてももうお腹すいちゃうんだ」
「ぜんっぜん足りねーよ、あんなの!稽古とかしたらすーぐ腹減っちゃうんだぜ」
「そっか……。でもごめんね?私食べ物もってないや」
「んーや。期待して言ったわけじゃねえし」
ふああ、と平助くんが大きなあくびをした。どうやら今日はその稽古がお休みらしかった。道場の大掃除をするって言ってたからたぶんそのせいなんだろう。お昼ご飯を食べた後、いつもなら稽古に行くのに、今日は私の後を楽しそうについてきた。
「そうだ、平助くん、大広間に行ったらどう?」
「広間に?なんで?」
「皆そっちにいると思うよ。温かいし、お菓子もあるかも」
「……別にいーよ。ここにいる」
「どうして?ここにはなんにもないし寒いし……」
「どうしてっつーか……千鶴はここに居るんだろ?」
こす、と背中が擦れて、彼の動きが伝わってくる。
「わたし?うん。そうだね……。これ、お夕飯までに縫い終えたいし、皆が騒いでるところにいたら秘密もばれちゃいそうだから」
大騒ぎの大広間では誰かに接触される可能性も高い。一般隊士も大勢いるんだ。自室で出来るだけおとなしくしているのが私には一番良いのだろう。
「じゃ、俺もここに居る」
「でも……」
「いいから!居るって決めたら居んだよ!男は一度言ったら変えねーもんなの!!」
なおも言い募ろうとした私に、平助くんはぷりぷり怒り出してしまった。フン、と鼻を鳴らした一方で、彼の背中は私の背中にぴったりとはりついたままだ。
「そう……?風邪ひいてもしらないよ?」
「ひかねーよ!そんなもん!」
「ふふっ。でも、確かに平助くんならひかないかも」
「だっろー!?ってどういう意味だよ!」
「あははは!!」
「千鶴!」
カツンと平助くんの頭が私の後頭部に当てられた。
「ぁいたっ」
「罰だ、罰。笑ってんなよなーっ」
「ふふふ、はーい。ごめんなさーい」
「なーんかその言い方、誠意が感じらんねーんだけど」
「痛っ、痛いってば!ごめん!ごめんなさい!」
「しょうがねー。このくらいで勘弁してやっか」
「ありがとうございます。……もう、平助くんってば」 「わり、痛かったか?」
「ううん、大丈夫」
「そか。ははっ」
「ふふふっ」
お互い肩を揺らして笑い合った。背中に平助くんの振動が伝わってきて、それがまた何か面白くて、二人の笑い声はなかなか止まらなかった。
ふと手元の縫い物に目を落とすと、さっきから全然進んでいないことに気付いた。どうしよう。このままじゃ夕飯までに間に合わない。
この衣の持ち主は平助くんだから、怒られたりはしないだろうけど、でもやっぱり早めに間に合わせたかった。最近は本当に冷え込むから、着るものはいくらあっても足りないくらいだ。
平助くんの温もりを背中に感じながら、一心不乱に針を進めた。チクチクチクと袖のほころびを直していく。ひと針ひと針、もうほころびないように力強く。穴が大きいところは厚手の当て布を縫いつけて風を通さないように縫った。
これくらいかな、と服を広げたときに、ようやくとっぷりと日が暮れていることに気が付いた。手元が暗くなっていることにさえ気が付かないなんて。
しゅ、と何かが首元を掠めた。背中はじんわりと熱いままだ。
「っ、平助くっ……っ!?」
急いで振り返ると、平助くんは小さな寝息を立てていた。どうやら彼が身じろぎをしたときに。束ねた彼の髪先が私の首元をくすぐったみたいだ。
眠ってしまっている間も、彼の背中は私から離れていなかった。よっぽど寝相がいいんだな。 寝顔までは見れないものの、すうすうと穏やかな呼吸が聞こえてくる。
私はほっと息をついた。
「こんなトコで寝てたら、ほんとに風邪ひいちゃうんだから」
呟いた言葉に反応はない。よほど深い眠りについているのだろう。
それにしても、と私は部屋を見渡した。一体今何時なんだろう?さすがに、もうそろそろお夕飯の時間なんじゃないのかな。
首を傾げれば、振動が伝わったのか平助くんが小さく動いた。
「んん………」
「平助くん?起きた?」
「ん…ま…だ……」
「もう、風邪ひいちゃうってば」
唇をとがらせてみても、目を瞑る彼に反応はない。すう、と穏やかな寝息に戻ってしまった。
寝ちゃったか、と肩をすくめる。けれど彼を無理に起こす気にはなれなかった。
もう縫い物も終わってるし、別にすることもなかった。それでも、不思議と退屈には感じない。ただ穏やかな気持ちが胸を満たしていくだけだ。
背中で寝息を立てる平助くんの鼓動が私に直接伝わってくる。それが何故だか、本当に心地よかった。
「平助くんもこんな気持ちだったのかな……」
呟くと、平助くんが背中でもぞもぞと小さく動いた。
「ち…づ………」
「ん?」
名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返る。彼の表情までは見えなかったが、起きたわけではないらしい。
「……す……だ……」
「すだ?」
「んん………」
もごもごと、何か言おうとする言葉を聞き取ろうと耳を傾けると突然、
「うおーい!飯出来たぞーーっ!!千鶴ちゃん開けっ………平助!?」
スパン!と勢いよく襖を開けられた。
「な、永倉さん!」
襖の先に、目を真ん丸にした永倉さんが立っていた。顎が外れるんじゃないかってくらい、大きく口も開かれている。
「な、な……っ」
「……んー…?」
「ななななんっっっつーーーうらやましいことしてんだよ平助ぇえええっっ!!!!!」
「わぁっ!永倉さん!!」
「平助テメェ…っ!!いねーと思って心配してやってたらこんなところにいやがったのかっ!!!!」
どかどかと肩をいからせて歩く姿は、まるで怒ったツキノワグマだ。燃え盛る蒼い炎を伴っているようにも見える。その勢いのまま、永倉さんは平助くんの胸倉をつかんだ。
あまりの迫力に私は喉をひくつかせただけで、言葉も出なかった。
「へぇええすけえぇぇえ」
「…ん、わあーーーーっっ!!?」
「よーう、お目覚めかあ!?気分はどうだぁ?」
「ど、ど、どうだっつわれても、最悪としか言いようねーじゃんっ」
「ああん?千鶴ちゃんにピッタリともたれかかって居眠りこいてたような下種野郎が言う言葉じゃねえなあ!?」
「い、居眠り……?あ、俺いつの間に寝ちまってたんだ…!?」
「んなもん俺が知るか!!来い!!今日のテメエのおかずは全て!!全て!!この俺が頂く!」
「はあ!?なんっでそうなんだよ!つうか降ろせ!!」
「いいや、オメーはこのまま連れて行く!!ったく、千鶴ちゃんになんつーことしてくれんだよ!!責任取れんのかテメエ!!」
「はあ!?意味わっかんねーし!つーか降ろせ!降ろせってば新八っつぁん!!」
入ってきた勢いのまま、右手に平助くんを持ちながらどかどかと永倉さんは部屋を出て行ってしまった。
「………た、台風……」
「あん?どうした千鶴。早く来いよ。先、食っちまうぞ」
「あ、原田さん……」
開かれた襖からひょっこりと原田さんが顔をだした。手でくいっと広間を指す。
「新八と平助がなんかぎゃいぎゃい言ってたが、まあいつものことだろ」
「あ、あは、あははは」
「?」
首をかしげた原田さんに、なんでもないですと手を振って立ち上がった。と、
「あ……」
「ん?どうした」
「あ、いえ、背中……」
まだあったかい。そう呟くと原田さんは不思議そうに右の眉をあげた。
「いえ、行きましょう」
「ああ。どうした、なんか嬉しそうだな」
「そうですか?」
「なんだ?良いことでもあったのか?」
「………秘密、です」
「お、意味深なこと言うじゃねーか」
「ふふふっ」
じんわりと平助くんが残した熱が、まだ私の服に残っていた。
今日はなんだか、良い夢が見られそうだ。
じんわりと温かい熱が背中に伝わってきて心地良い。平助くんが小さく動くたび、彼の長い髪が首元をくすぐった。
「なー、千鶴ー」
「なあに?」
「寒ぃ」
はーっ、と平助くんが天井に向かって吐き出した。きっとそれは白く染まっているんだろう。かくいう私の指先も、冷え切って赤くなっていたから平助くんの気持ちはよくわかった。
「腹も減った……」
「あはは、さっきお昼ご飯食べたばかりじゃない」
「んー…。俺育ち盛りだし。いくら食っても食い足りねーっての?」
「あんなにいっぱい食べてももうお腹すいちゃうんだ」
「ぜんっぜん足りねーよ、あんなの!稽古とかしたらすーぐ腹減っちゃうんだぜ」
「そっか……。でもごめんね?私食べ物もってないや」
「んーや。期待して言ったわけじゃねえし」
ふああ、と平助くんが大きなあくびをした。どうやら今日はその稽古がお休みらしかった。道場の大掃除をするって言ってたからたぶんそのせいなんだろう。お昼ご飯を食べた後、いつもなら稽古に行くのに、今日は私の後を楽しそうについてきた。
「そうだ、平助くん、大広間に行ったらどう?」
「広間に?なんで?」
「皆そっちにいると思うよ。温かいし、お菓子もあるかも」
「……別にいーよ。ここにいる」
「どうして?ここにはなんにもないし寒いし……」
「どうしてっつーか……千鶴はここに居るんだろ?」
こす、と背中が擦れて、彼の動きが伝わってくる。
「わたし?うん。そうだね……。これ、お夕飯までに縫い終えたいし、皆が騒いでるところにいたら秘密もばれちゃいそうだから」
大騒ぎの大広間では誰かに接触される可能性も高い。一般隊士も大勢いるんだ。自室で出来るだけおとなしくしているのが私には一番良いのだろう。
「じゃ、俺もここに居る」
「でも……」
「いいから!居るって決めたら居んだよ!男は一度言ったら変えねーもんなの!!」
なおも言い募ろうとした私に、平助くんはぷりぷり怒り出してしまった。フン、と鼻を鳴らした一方で、彼の背中は私の背中にぴったりとはりついたままだ。
「そう……?風邪ひいてもしらないよ?」
「ひかねーよ!そんなもん!」
「ふふっ。でも、確かに平助くんならひかないかも」
「だっろー!?ってどういう意味だよ!」
「あははは!!」
「千鶴!」
カツンと平助くんの頭が私の後頭部に当てられた。
「ぁいたっ」
「罰だ、罰。笑ってんなよなーっ」
「ふふふ、はーい。ごめんなさーい」
「なーんかその言い方、誠意が感じらんねーんだけど」
「痛っ、痛いってば!ごめん!ごめんなさい!」
「しょうがねー。このくらいで勘弁してやっか」
「ありがとうございます。……もう、平助くんってば」 「わり、痛かったか?」
「ううん、大丈夫」
「そか。ははっ」
「ふふふっ」
お互い肩を揺らして笑い合った。背中に平助くんの振動が伝わってきて、それがまた何か面白くて、二人の笑い声はなかなか止まらなかった。
ふと手元の縫い物に目を落とすと、さっきから全然進んでいないことに気付いた。どうしよう。このままじゃ夕飯までに間に合わない。
この衣の持ち主は平助くんだから、怒られたりはしないだろうけど、でもやっぱり早めに間に合わせたかった。最近は本当に冷え込むから、着るものはいくらあっても足りないくらいだ。
平助くんの温もりを背中に感じながら、一心不乱に針を進めた。チクチクチクと袖のほころびを直していく。ひと針ひと針、もうほころびないように力強く。穴が大きいところは厚手の当て布を縫いつけて風を通さないように縫った。
これくらいかな、と服を広げたときに、ようやくとっぷりと日が暮れていることに気が付いた。手元が暗くなっていることにさえ気が付かないなんて。
しゅ、と何かが首元を掠めた。背中はじんわりと熱いままだ。
「っ、平助くっ……っ!?」
急いで振り返ると、平助くんは小さな寝息を立てていた。どうやら彼が身じろぎをしたときに。束ねた彼の髪先が私の首元をくすぐったみたいだ。
眠ってしまっている間も、彼の背中は私から離れていなかった。よっぽど寝相がいいんだな。 寝顔までは見れないものの、すうすうと穏やかな呼吸が聞こえてくる。
私はほっと息をついた。
「こんなトコで寝てたら、ほんとに風邪ひいちゃうんだから」
呟いた言葉に反応はない。よほど深い眠りについているのだろう。
それにしても、と私は部屋を見渡した。一体今何時なんだろう?さすがに、もうそろそろお夕飯の時間なんじゃないのかな。
首を傾げれば、振動が伝わったのか平助くんが小さく動いた。
「んん………」
「平助くん?起きた?」
「ん…ま…だ……」
「もう、風邪ひいちゃうってば」
唇をとがらせてみても、目を瞑る彼に反応はない。すう、と穏やかな寝息に戻ってしまった。
寝ちゃったか、と肩をすくめる。けれど彼を無理に起こす気にはなれなかった。
もう縫い物も終わってるし、別にすることもなかった。それでも、不思議と退屈には感じない。ただ穏やかな気持ちが胸を満たしていくだけだ。
背中で寝息を立てる平助くんの鼓動が私に直接伝わってくる。それが何故だか、本当に心地よかった。
「平助くんもこんな気持ちだったのかな……」
呟くと、平助くんが背中でもぞもぞと小さく動いた。
「ち…づ………」
「ん?」
名前を呼ばれた気がして、後ろを振り返る。彼の表情までは見えなかったが、起きたわけではないらしい。
「……す……だ……」
「すだ?」
「んん………」
もごもごと、何か言おうとする言葉を聞き取ろうと耳を傾けると突然、
「うおーい!飯出来たぞーーっ!!千鶴ちゃん開けっ………平助!?」
スパン!と勢いよく襖を開けられた。
「な、永倉さん!」
襖の先に、目を真ん丸にした永倉さんが立っていた。顎が外れるんじゃないかってくらい、大きく口も開かれている。
「な、な……っ」
「……んー…?」
「ななななんっっっつーーーうらやましいことしてんだよ平助ぇえええっっ!!!!!」
「わぁっ!永倉さん!!」
「平助テメェ…っ!!いねーと思って心配してやってたらこんなところにいやがったのかっ!!!!」
どかどかと肩をいからせて歩く姿は、まるで怒ったツキノワグマだ。燃え盛る蒼い炎を伴っているようにも見える。その勢いのまま、永倉さんは平助くんの胸倉をつかんだ。
あまりの迫力に私は喉をひくつかせただけで、言葉も出なかった。
「へぇええすけえぇぇえ」
「…ん、わあーーーーっっ!!?」
「よーう、お目覚めかあ!?気分はどうだぁ?」
「ど、ど、どうだっつわれても、最悪としか言いようねーじゃんっ」
「ああん?千鶴ちゃんにピッタリともたれかかって居眠りこいてたような下種野郎が言う言葉じゃねえなあ!?」
「い、居眠り……?あ、俺いつの間に寝ちまってたんだ…!?」
「んなもん俺が知るか!!来い!!今日のテメエのおかずは全て!!全て!!この俺が頂く!」
「はあ!?なんっでそうなんだよ!つうか降ろせ!!」
「いいや、オメーはこのまま連れて行く!!ったく、千鶴ちゃんになんつーことしてくれんだよ!!責任取れんのかテメエ!!」
「はあ!?意味わっかんねーし!つーか降ろせ!降ろせってば新八っつぁん!!」
入ってきた勢いのまま、右手に平助くんを持ちながらどかどかと永倉さんは部屋を出て行ってしまった。
「………た、台風……」
「あん?どうした千鶴。早く来いよ。先、食っちまうぞ」
「あ、原田さん……」
開かれた襖からひょっこりと原田さんが顔をだした。手でくいっと広間を指す。
「新八と平助がなんかぎゃいぎゃい言ってたが、まあいつものことだろ」
「あ、あは、あははは」
「?」
首をかしげた原田さんに、なんでもないですと手を振って立ち上がった。と、
「あ……」
「ん?どうした」
「あ、いえ、背中……」
まだあったかい。そう呟くと原田さんは不思議そうに右の眉をあげた。
「いえ、行きましょう」
「ああ。どうした、なんか嬉しそうだな」
「そうですか?」
「なんだ?良いことでもあったのか?」
「………秘密、です」
「お、意味深なこと言うじゃねーか」
「ふふふっ」
じんわりと平助くんが残した熱が、まだ私の服に残っていた。
今日はなんだか、良い夢が見られそうだ。
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